京町屋ギャラリー

久しぶりに京都に行きました。

大阪に住む、私が20代前半に某小劇場に参加していた時からの友達夫婦
(若き日の「室井滋」といっしょにやっていた)が、
物狂いで「京町屋」を買ってしまい今後20何年かのローン地獄と引き換えに、
ひょっとすると「夢」を手にいれたのでした。
西本願寺の西、旧遊郭の島原の大門(おおもん)のすぐ隣に位置し、
京都駅からは20分弱、あまり一般的でなく、
だからなんとか手が出る値段だったようです。

中心部や清水寺とかの観光スポット近くだと軽く「億」を超えるそうです。
昔からの住民だとごく安い家賃だそうですが
食べ物屋に転用目的だと結構なお家賃になるようで。
何年来の町屋ブームですが、飽和状態で先週も
フレンチレストランにしていた所をはじめ一気に三つ潰れたとも聞きました。

「よそもの」には割と排他的というのが京都という地ですが、
中心部と違いこのあたりはわりとしんどくないとのこと。
二階を住まいにして一階全部をギャラリーとフリースペースにするということでした。

「今のマンション住まいでもいいのだけれど、なんの発展性もないし
一生の最期の夢としてはつまらないと思い、大阪人と信州人のよそ者エトランゼとして
やっていく」  ことにしたそうな。
観光コースではあるけれど中心部のような観光客が引きも切らずというのではないから、
近辺ではギャラリーとしては唯一、というデメリットをメリットに変えるべく
育てていこうとしています。

予算も厳しい中、平凡で当たり前なものでないものを というので
染色家+大工の僕にお鉢がまわってきたというわけでした。

フリーライターの彼女が仕事で知りあった比叡山のお坊さん始め
建築家や庭師や大工やデザイナーの方達が集結しました。
そしてなぜかそこに、染色家+大工もいたわけです。
ピアノもあるので単なるギャラリーというだけでなく
いろいろな講座やコンサートやらをやっていくようです。

成瀬少年が高校二年17歳のとき、
機会を作っては、鈍行の夜行列車に乗って東京に脱出していたものですが、
それは主としてピンクフロイドのライブを見たかったからですが、
たまたま銀座の町をうろついていたとき、「ルナミ画廊」というのに迷い込んだのでした。
じつは新宿と池袋と銀座しか知らなかったからでしたが。
知る人ぞ知るゲンダイアートのメッカ。
並河先生が主宰する気持ちのいい場にはいろいろな方々が集まり、
瀧口修造さんもいらしたり。
その中で、先鋭的な美術評論家ヨシダヨシエさんが
よもやま話をする飲み会を開いていてくれました。
活字にできないようなすれすれの話もあり
学校とは異質なそのような「場」が当時の僕にはどれだけ貴重だったか。

これを書きながらヨシダさんがしてくれたこんな話を思い出した。
「日本人はナイーブで、生まれてきた子が両親と違う肌合いだったりしたものなら
驚天動地の騒ぎになるけれど、人種のるつぼであるようなバルセロナだのパレスチナ
だのユーゴだのだと、白人同士から褐色の子供が生まれてくる事だって
めずらしくない。隔世遺伝だったりもっととんでいたり。」
こういう現象を称してなんとかって言うのだけれど忘れてしまった。
ともかく刺激的な様々な事を教えてもらった。

そんな恩恵を人に与えられる「場」にこの町家がなってくれたらと
密かに思ったのでした。

さて
古いものなのでお祓いからという事で、
比叡山の小鴨俊寛さんに祈ってもらいました。
真言密教の祈祷というものを初めて間近で見ました。
ほんとうは写真はいけないらしいのですがいくつか撮らせていただきました。

ついでにわたくしの「きつねつき」もやっつけてもらったような気がして
あとはもう何をやってもだいじょうぶのような感じがしてきました。

正面からみたところ、三間(5.4メートル)幅だが奥行きは25メートル以上
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井戸をお清め
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こんな五穀を蒔いて
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玄関からの走り庭
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家の中
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明かり取りの天窓 、10メートル近い高さ
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島原遊郭の入り口 大門
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遊女の置屋 輪違屋、こういうのがいくつも残っています
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ともかく協力して出来る限り夢のあるスペースにしていけたらと思っています
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