女の平和

前回の続き気味に。

「女の平和」は古代ギリシャの劇作家アリストパネスの戯曲。
年がら年中戦争をやっているアテネとスパルタの国で、
そういう男達に愛想をつかした女達が「セックスストライキ」をして
戦争を止めさせるという喜劇。

前回書いた、「おんな」の持つ浄化作用のようなこと、
子供を育て、家族を生活させるためにもろもろの危険から
身を守ろうとする本能的な能力。
何万年も何十万年もかかって身についた能力。これはもう「保守主義」なんて
短いスパンの捉え方では考えようも無い、途方に暮れるような進化の跡。

例えば、
「普通の」女はカビを凄く嫌うように思う、だからかお日様に干した
洗濯物や布団の匂いや感触が好きなのではないか。
「蛇」を凄く恐怖するのは途方も無い昔の記憶からくる、と聞いたこともある。
動物が火を怖がるように。
「食べる事」をおろそかにする男も嫌う、「食べ方」の汚い男も。
おとうさんはそんなに言わないのにおかあさんは「野菜をたべなさい、
野菜をたべなさい」というとか。こんなことは枚挙にいとまがない。
おそらく、そうしたほうがモアベター、ということの集積なのだと思う。

このようなことに逆らおうとすると、短期的にはなんとかなっても
長期ではしっぺがえしを食らってしまう。
若い時はあまり考えたこともないが、歳を経ると、そんなことをひしひしと思う。

しかし現代の世では男も女も「本能」からはぐれてしまっている故、
本来の直感からずれて右往左往しているのではないか。
ここ50-60年の変化はそれまでの数百年の変化より遥かに大きいという。
人間の適応能力というのは驚くべきものがあるにせよ、
なんらかのひずみが蓄積されていってるのではなかろうか。

電車の中などで「男」がするいわゆる「痴漢行為」
肩書きも地位もあるような社会的にそれなりの男が何故?と
大半の女にはその行動が理解不能だと思う。

たぶんりっぱな組織に属する人間程やるのではないか。
「油断」なのだと思う。
男である小生は当然聖人君子でもないから
「縛り」がいっさいなかったらどんな暴走をするかわかりもしないが、
しかし「フリー」の身で仕事をしていく立場、
そんな一瞬のこちょこちょに引き換えの出来うる人生なんてない。
損得勘定だけで「少なくとも」電車の中ではあんなことはやれない。
それでも「いたす」やつ、
これはやっぱり何十万年の「手癖」からきているのだと思う。
つまり多少お咎めがあったにせよ、だめでもともと、とりあえずアクション、
というオスの行動パターンの刷り込みのなせる技なのではないだろうか。
もちろんそれが現代の社会で許されるはずもなかろうが。


さて
守屋元事務次官の「奥」は直感で「あんな事」を防いでやらなければ
いけなかった、子供にちゃんと野菜をたべさせるように・・・・。
あるいは「女の平和」のようにストライキでなんとかしなくてはまずかったのだ。

チーズや大福やミンチや鶏でも勿論そうだが、
「国」を守るという御旗のもとの「兵器」なのであるから言わんやをや。

「徴兵は命かけても阻むべし母、祖母、おみな牢に満つるとも」ー石井百代ー

「餓えた子を前にして文学は有効か?」
もうはるか彼方の昔、サルトルおじさんがそんなことを言っていたが
こんな「歌」が最悪の状況を前にした時、力になりうるだろうか?
戦国の世なら迫り来る敵を前にして(先行き短いおばあたちが人間の盾として)
矢面に立ち、「おめーらも国さけーれ」。
鬼神の迫力にたじたじと退却していくの図、なんてあるかもしれないが
現代戦では敵の見えないうちに勝敗は決してしまっている。

今年あの世に行ってしまった小田実は、少年の時大阪で空襲に会い、
その原体験からベトナム戦争時のハノイでおこっている事を「想像」し、
その後の行動へと移っていったのだが、
晩年の彼はそこから敷衍して、バクダッドやコソボでおこったこと、あるいは
おこっているさらなる火焔地獄のことを想像せよと語っていた。

余談であるが70年代のいっとき「岸恵子」さんと噂になったことがあった。
岸さんの、たとえばチェルノブイリ原発事故テーマのベラルーシの話の本を
出版するということにいたる関心を見ていると、
小田さんとの話も信憑性をおびてくる。
「美人」は相手の顔かたちはこだわらないと言うが、(踏み絵みたいな説ですな)
あの小田実を選ぶ女も大したものだが、
あんな女優をとりこにしてしまう「男」もなかなかのものではないか。

合掌。

もひとつ余談。
俳優の三国連太郎の苛烈な体験。
彼が兵隊に採られ、軍隊のいじめやしごき に耐えかねて脱走し
田舎の母の元へ逃げ帰ってきたという話なのだが
当然匿ってくれると思っていた母が、憲兵隊に自分を引き渡してしまったということ。
家族親族親戚一同に恥をさらすという脅しのもと
か弱い人間を戦地へと駆り出すシステム。

その事はわかっていながら、なおかつ自分だけは助けてくれると思っていた母の行為。
三国さんの生涯を通じての深い深いトラウマだと。

虎と馬と。
わりと安易に使われがちだが
トラウマというのは本来このくらい過酷な体験から来てしまうものなのだろう。

三国さんのあの存在感、その背後にあるこんな話。
「つかこうへい」は、舞台に立てば内容のない虚ろな奴は3秒でばれて客に伝わる、
と言っていたが三国も、そして息子である佐藤浩市もやはりなかなかなもの。


まっこと、恥ずかしいくらい青臭い話をしてしまった。
でも。
「神は細部に宿りたまう」
ちゃんとした(自分たちでさえ食べないと言う)中国製野菜ではない野菜を、
これまたちゃんとちゃんと食べるように・・・・・。

不祥事続出の役所は規律 を正すという。
風紀委員会のようなもの。
GPSを持たせたり・・・・・。
太平洋戦争中、過酷な日々でありながら実にいきいきと感じた一群があったという。
国防婦人会やら自警団やら憲兵隊やらで「非国民」をあぶり出し
お国のためにならないとされる人達を密告したり、リンチしたりしていた者達。
戦争前までうだつのあがらない人生をおくっていた者達が急に生き生きとしだしたと。
こんな例は「ならずもの」ナチスドイツの「突撃隊」隊員にもよくあった話。

店じまいの前にあとひとつ。
司馬遼太郎氏の話。

「規律主義、精神主義は無能者の隠れ蓑。」

よくよく肝に銘じなければなるまいて。


おまけ

山のアトリエの擁壁(土留壁)の型枠をはずし
乾燥したコンクリートの壁が姿をあらわした。
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ヤフーオークションで奇跡的な値段で競り落したエンジン溶接機が大活躍、
ただ110キロもあるので運び込むのには命がけだったけど。
まだへたくそだが、作るもの、表現の幅が格段に広がってすこぶる嬉しい。
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渋柿が大量に採れてしまったので(仕方なく)干し柿に
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本日はこれまで。おやすみなさい。
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