あの時食べてしまっておけば良かった

A Happy NewYear!!

3月1日から30日という作品展の日程が決まった。
カウントダウンが始まったのであとはひたすら作るのみ。
昨日12月31日もいくつか作業をした。
筆や刷毛を使って染めた後、染料を繊維に定着させる為に
「蒸し」という工程を経るのだが、蒸籠(せいろ)のお化けのような
蒸し器に反物を入れて約160度の蒸気に一時間程さらす。
このあと繊維に絡み付いている余分な染料やら糊やらを
水洗いによって洗い流し(水元という)きれいにする。
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この工程の合間に他のことや雑用をかたずけるのだが
なかなか一息入れる時間もない。
今もそんな状態、そして年を越してしまい・・・・・。

いずれにせよ「後悔」なんてあまっちょろいことをしないような
「今年」であらねばね。


よく聞くこと。
いや
そんなこと恐ろしくてだれも言いはしない、
ただわたくしがよく聞くような気がしているだけかもしれない。
気のせいだけかもしれないが・・・・。


あのころ「妻」はほんとうにカワイカッタ、
ひとつひとつの仕草さえ疑いなく可愛かった、
ほんとうに「食べてしまいたいくらい」かわいかった。
あのとき本当に食べてしまえばよかった。
何故食べてしまわなかったのだろうか?


そんなユルユルふぬけな「後悔」なんぞしないように。

さて京町屋ギャラリーのほうもちゃくちゃくと進んでいる、
彼女も後悔などしている間もないのだ。

ー京都島原ギャラリーのざわー
パンフレットが出来上がったのでホームページのinformationに
掲載してある。
2008年1月1日、そう 本日オープンする。

改装の過程とオーナー野沢好子の思いを「すこし長い」けれど
掲載させていただく。

その前に
「すこし長い」・・・・・・今年初の怒りオヤジの垂れ流しを御許しを。

幼稚な、只分りやすい口当たりのいいことばかりが蔓延している。

10分、15分に一本のTVCMに合わせるように作られる番組、
リモコンちゃかちゃかでチャンネル変え当たり前の視聴者を
釘付けしようと、やたら刺激の多い場面の切り貼りのような
ドラマやバラエティ作り。

しかしカメラマン藤原新也の本にこうあった。
フランスのテレビ局から取材依頼があったので受けたのだが
せいぜい2-3日の事かと思いきや、なんとスタッフ泊まり込みで
ひと月近くにわたる取材であったそうな。
日本のマスコミに慣らされた自分に自戒を込めて紹介していた。
それだけの長期取材の対象たり得る氏も大したものだが、
そんな腰の座った仕事を行えることも見上げたもの。
取材前からプロットの出来上がったような「予定調和」の
記事しか書き得ないようなつまらない記者、そして
その程度の記事しか必要としないうすっぺらな雑誌や番組。
そしてその程度の内容で間に合ってる世の中。
よく言うではないか、
この程度の客にこの程度の店、とか
この程度の国民にこの程度の政治、とか
この程度の民衆にこの程度のスター、とか
この程度のXXXにこの程度のXXX・・・・・・・。

客がお店をつくり、お店が客をつくる、そんなフィードバック関係。
僕らの世界にきっともっとも必要なこと。
だから深く深く自戒の念を込めてなのだけど。

年末、規模といいレベルといい、もはや小劇場とは言えない域に達した
「ケラリーノ・サンドロビッチ」主宰の劇団「ナイロン100°C」の
舞台「わが闇」を見た。
一般の人にはいささか無縁かもしれないが
それでも犬山いぬこや大倉孝二の名前を聞いたことは
あるかもしれない。

ケラの作るもの、「時」の扱いがせつない。
そして
あえて言ってしまえば
「舞台」の表現というものに絶望して出発しているのがいい。

多分大傑作だったろう、いやそんな言い方はよくない。
人の評価は関係ない、自分にとって掛け値無く「よかった。」
小劇場もここまできたか、なんておセンチになるつもりはないけれど。
ケラ(40ちょっとの日本人だけど)も何年か前は
「有頂天」なんてバンドをやっていて「転向」なんだけど。

しかし確かに作品によってあたりはずれは大きいかもしれない、
好き嫌いは別にして。
東京の話で申し訳ないが渋谷パルコやBunkamuraで行われる
「興行」にロクなものはない、高いばかりで・・・・。
ケラがやっても同じ事、高い小屋代、制作費をペイさせるため
小スターを並べ、出番を多くして、結果散漫な学芸会と成り果てる。
まあ熱狂的なそれぞれのファンにとってはどうでもいいことだろうけれど。

「ナイロン100°C」の舞台、どれもこれも長い、3時間は当たり前。
今回もとうに超えていた。
で、ネット上などの評判でもそのへんが槍玉にあがっていた。
「いいんだけど長くて」
でもこれは間違いなく3時間は必要な舞台。
人が座席に無理無く座っていられる時間という、2時間弱とかに
合わせてつくる事ももちろん必要だけど、
そして(誰とは言わねど)有名な割にセンスが疑われる
世界的演出家や、ミュージカルの売れっ子演出家の意味もなく長い
舞台とはこれまた違うのだと。
そしてただ長くて「芸術的な」芸術押し付けのものとも勿論違うのだと。

それにしても
なんでもかんでも長いからとごそごそしだすお子様には
どういう治療法があるのだろうか?

今の若い人には信じられないだろうけれど
シングル盤の「レコード」(CDではなくて)の
機能的な制約の2分何十秒かに合わせてポップスというのは
作られていたんだよ。
どんなテーマでも 裏返して取り替えない限りそれ以上長い曲というのは
ポップスでは無かったのだと。まあそのへんを商業的成功という意味で
クリヤーしたのがビートルズだったのだと。

さてさてオーナー野沢の編集者としての仕事、
例えば別冊太陽の「比叡山」や「京町屋」の気の遠くなるような
下調べがあってのアプローチを想像するにつけ、
今の世では必ずしも報われないその「心意気」を
別な世界で見せてくれるというのが
このたびのプロジェクトであるような気がする。
(パンフレットに少し紹介されてあり)

またまた長くなってしまった、必要だとは思ってはいるのだけど。 
そんなわけで自分のブログの長さを自己弁護するわけではないけれど。

このふた月の様子から

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暮らしながら改装工事と向き合ったオーナー野沢 からのメールを
一部掲載させていただく。

「 さて、今回の暴挙も最終的な詰めの段階に向かっています。改修をしていてひとつ分かったことは、やっぱり80年も経た家の改修には終わりがないということだ。(成瀬が)木を伐り倒すところから工房をブッ建てることからすれば、まぁ、今回の我らのプロの手を借りた改修など子どもの遊びのようなものだけれど、それでも確かに楽しい作業である。まぁ、結論としては、というか今後の方針としては「少しずつ、ずっと」改修は続くであろうというところだ。つまりは、気づいたところを、これからはなるべく自力で補修していこうと思っている。

(成瀬が)山の工房を作り始めて、道具に狂い始めたのもよくわかった気がする。まぁ、それにしてもあそこまでする人間はめったにはいないだろうけど、なるほど、職人さんが持っている道具というのは美しい。民芸じゃないけれど、これぞ「用の美」だな。今回は疋田さんという、町家や宮大工をされている大工さんのお世話になったのだが、疋田さんの車の中には木の家が仕組んであり、そこが道具箱になっている。「仕事が暇なときに、手すさびで作ったものだ」と言われていた。単に道具箱なら木の家風にすることもないだろうに、そうせざるを得ない大工気質というものがあるんだろう。

面白い道具に「如意棒」というのがあった。孫悟空が持っている如意棒の意味なのだろうけど、筋交いをする木を刻むためメジャーの役目をするもので、わが家のように大きく傾いている家にはああいう道具が不可欠らしい。実は、わが家は東側にかなり傾いており、当初は地震対策のため仕口ダンバーの設置も考えたのだけど、「この家は東側の家に寄りかかっているから、あの家がある限り何とかなるだろう」という建築家の見解で補強は一切しないことにした。幸いにも隣は4階建ての新築だから、頼りがいもある。他力本願というのはまさに私の人生そのものでもあり、西本願寺の裏に(島原は西本願寺の西に位置する)住んだというのも何かの因縁だろう。

今回の改修で何が一番苦戦したかといえば、納屋だ。初めは蔵だと思っていたのだが、覆っていたトタンや波板、ベニヤの壁をはずしていったら、「それはとても蔵とは呼べないしろもの」であることが判明した。古材が使われ、それはそれで昔の大工の優れた知恵であるのだが、中には、どう見ても端材のようなものも入っていた。壁もすこぶる薄い。しかも波打っており、当初は自力で塗ろう!などと思っていたのだが、プロの左官でも難しいと分かり、当初の計画はどんどん変更。美しくする作業から、少しでも丈夫にするという作業に変わっていった。2階屋の西の壁一面にコンクリートパネルを張り、壁一面を本棚にしたけれど、結果的にはこれが補強にもなった。「え~コンパネ」と素人の浅知恵で躊躇したのだけれど、予算との兼ね合いからも、これは使いようだということを大工さんから教えてもらった。

他の壁はかなりうねりが出ていたので左官さんはそこに苦労したようだ。水を乾ききった土に吹き、下塗りした後、数日置いて乾かし、中塗りをし、資金の都合で上塗りはしないことにした。もともと、中塗りくらいの雰囲気がいいとは思っていたので、中塗りでとどめることには依存はなかったが、中塗りにもかなりの厚さの土を塗る必要があり、乾かすために、毎日、寒さの中で扇風機が回っていた。

納屋の1階は事務所、2階をミニライブラリーとし、旅に来た人にほっこりしてもらえたらと思っている。まだ完全に整理はついていないけれど、今回たくさんの本棚を設けたので、背表紙を久しぶりに見た本があり(今まではなし崩しに本を詰め込んでいた)、資料を探すテマから少し開放されそうだ。整理が順調にいった後の話だが。当初、薄暗い雰囲気からすると2階はかなり気持ちのいい空間に仕上がった。なんか、引きこもりたい気分の空間だ。天井はパネルを張っているので、見た目は不細工。素人がペンキを塗ったりするのも大変なので、和紙でも張ったらどうかといわれている(今後、それを実行に移すには時間がかかりそうだけれど)。

大工さんの道具で思い出したけど、疋田さんは「道具をあまり持つのはどんなもんか」ともいわれていた。昔は木箱ひとつで現場に駆けつけたが、大工が便利な道具を持ち始めると、「腕は堕落するんじゃないか」とも言われていた。納屋の1階は作業所でもあり、ここで木を採寸し、刻んでいた。今は製材所から来た木をそのまま使うので、木を現場で刻める大工も珍しいかもしれない。大工さん、タイル屋さん、板金屋さん、建具屋さん、みな鉛筆が必需品で、よく計算していた。学生である娘はシャープペンシルしか使っていないようだけれど、大工の現場は鉛筆強し!だ。それに、メジャーも必需品だね。それと古い家は木が乾燥しきってしまっているので異常に硬く、ネジを打つのにも苦労する。それでわれらは電動式のネジを打つ工具は入手した。

今回は納屋の改修と並び、2つの方針があった。まず、それまで物置だった通り庭の中の走り庭(台所に当たる部分)の吹き抜けを生かし、ぎゃらりーとすること。それと住まいになる2階の台所の改修だ。

走り庭の場合は、足場を組んで壁の上部は煤を払う程度にし、下のほうだけを漆喰で塗りなおしている。一度上塗りを落として中塗りをしなおし、今までの漆喰壁(やはり古びているので)と違和感がないように、真っ白ではなく、やや色を入れた漆喰仕上げである。実はその作業が終わったのが今日。左官さんも何度か「乾いているか」の確認に来ていたが、壁は乾かすのが大変で、工事の進み具合は壁の乾き具合でもあった。昨日、ライトテーブルが付いてライトがはめ込まれたが、これが馬鹿なほど大きなライトで、「ストップ」をかけた。そんなこんなで、走り庭は1月1日、オープン寸前までいろいろごたつきそうである。建築当初の井戸(枯れている)、ガスが仕組まれたかまど、流し、色タイルのキッチン台は残した。実際にこれからは使っていこうと思う。まぁ、資力がよほどないと枯れた井戸を掘るのは無理かもしれないが、井戸の復活が夢である。もうひとつ、改修作業中に「大工が3日はかかる」という、釘を1本も使わない「栓・セン」だけで組まれた台所用の棚も見つかった。これは展示棚として活用するつもり。昔の大工の技と現代の作家のコラボ??レーションができればと考えている。

3つ目の方針は、2階の台所を使いやすくすることだった。今後、ギャラリーとして活用するには、いままで物置化していた走り庭に抜けていた2階キッチンの換気が大いに気になっていたからだ。そこで、屋根に換気口を抜けさせてほしいとお願いしたのだ。そのときに同時に、屋根にもう一箇所、明り取りの天窓をほしいとお願いした。これは、建築家や大工さんとの間でもめた。まず、金がかかる。新たに天窓を設けると、今の天窓からの一筋の光の雰囲気が壊されるのではないかという危惧も出た。しかし、私は、台所を毎日使う身として、少しでも明るくしたいと強く主張し、2階キッチンの天井にガラスをはめこんで光を導入し、さらに、換気の太い官を屋根に抜けさせてもらった。屋根の入り口付近に送風機が取り付けられたようである。(屋根に上って写真を撮らせてくれと申し出たが、「事故があったら困るから、それだけはやめてくれ~」と建築家に止められた。まぁ、仕方ない)。そして建築家の意見で、一面に白いタイルが張られた。作業風景を下の走り庭からみー見ていると、そこが舞台のようで、面白い光景であった。

そして、(成瀬の)要望通り、吹き抜けの梁に2箇所、ブランコを取り付けた。棒を綱でつなぎ、その棒に布などを留め、綱を引っ張りあげて布を吹き抜けに垂らすという趣向の仕組みである。この走り庭の吹き抜けを見たのが、この家に惹きつけられたきっかけだったが、それを最大限に生かすために、『何か工夫をしよう』ということで、今回のブランコになったわけだ。

古い家の改修は目に見えてきれいになるわけではない。だから、「どこを直したの?」といわれても仕方ない状況なのだが、なんとか、思い描いた空間になりつつある。

今日は二人で、表鬼門の入り口に南天ヒイラギを植えるレンガを積み、和室の縁側に下げる簾を短く直し、表の窓にロールカーテンを取り付けた(表からのぞける方がいいだろうと窓ガラスを逆さまに入れ替えた。つまり曇りガラスと透明な部分を逆さまにしたのだが、古い建具はガラスに余裕を持たせて嵌めてあるのでこういうことが利く。で、のぞける部分を遮蔽する必要が出てきたのでロールカーテンを取り付けることにしたのだ)。てな具合に、しなくてはならないことがまだ山ほどあるが、徐々に変わっていく姿は楽しいものだ。

次回は、展示を前に空間がどんな状態になったのか、写真を撮って送りたいと思う。そのときに、なぜ、私らが町家を選択したのか、そのワケもお伝えしたい。

年を食って、あんまり人生の成功だの失敗だのに頓着しなくなった(以前はしていたかというと疑問だけれど)今だから、こんな馬鹿な選択ができたんだとつくづく思う。面白がって暮らせたら、まぁ、それが一番てことかもね。ご同輩!」

もうじき1月1日、新年の日が上る。
ギャラリーのざわもスタート。
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