京都から その 3

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行ったり来たりだが季節は『春』までほんとにもう一息。
東京から持ってきた木蓮が綻び出してきた。

花造りの方が言っていた。
旧暦でないのに24節気に合わせて世の中が動くので
大変な苦労をして花をそこに合わせなくてはいけないと。

つまり冷やす事もさることながら暖めるために膨大なエネルギーを費やさねばならないのである。
もうそろそろ無茶な品揃えにはそっぽをむく民人であって
よいのではなかろうか。
野菜にしても切り花にしても・・・・・。
冬にイチゴや筍が並んでいても買わない。
春の桔梗、秋の菜の花なんて見向きもしない。

当初は関係する人全体で大きな損失を覚悟しなければ
いけないかもしれない。
しかし長い目でみたらこの手術は避けて通れない気がする。

『民度』というのはそんなことの集積であるはず。

京都ではそんなニュアンスの事を幾つか聞いた。
「つろくする」
バランスのとれた生き方をすること、
京都でひとつ象徴的な言葉をあげるとすると
これでしょうかと。
身の丈にあった人生をおくること。
そうでない人のことを『粋』(すい)でない、
なんて言うてました。


さて、わたしが関わる着物の世界でもやはり
大きな痛みを伴う変化が必要だと。

日々訪れて下さる方々とのお話の中、
そして一人になって夜の京都に佇むと
そんなことを思う。


この記事へのコメント

risi
2008年03月31日 09:21
いけばなの世界に身をおくものとして、やはりいろいろと考えさせられる昨今。
歳時記は旧暦。今の暦には無理があるよね。3月3日に桃は咲いていないし、5月5日に菖蒲はまだ芽がでてきたばかりだ。
何でもかんでも元に戻せ、とは言わないけれど、余りにも安易に捨ててきてしまったものが多すぎると思う。
きものの世界でもそうだとおもうけれど、○尺○寸というのはいまだに堂々と生きているし、坪と書けないばかりに、「3、3㎡あたり」なんて無理な表記になってしまったり。
無理をしている、というよりも自国の文化に対して余りにも誇りがなさ過ぎる。--右翼のりしはそう思うのであった。
わかやぎ
2008年06月28日 00:14
まったく同感です これからも日本の文化を広めましょう!